朝まで

 深夜残業していたので、帰りも遅くなりたまたまテレビで朝まで生テレビをやってました。それが、広島からで核問題がテーマでした。はじめは私の憧れ、ホームテレビの小嶋アナウンサーが出るのでというくだらない理由でみていました。しかしこれが非常に面白く、初めて最後まで、つまり朝まで見てしまいました。小嶋さんは最初と最後しかでませんでしたが…。

 核問題について、様々な論客によるかなり過激な発言もあって普段の番組では聞けない議論が繰り広げされました。もちろんあの番組のことなんで、だんだん人の話を遮って言いたい放題のような状況にもなったのですが、その中でもこいつ嫌だなとか思う人もいましたが、議論の内容はかなり深いものでしたた。というのは、核廃絶が理想という前提で、現実を直視して理想論に終わらないシビアで深い議論をしていたということです。要所要所にハイレベルな議論もあって、勉強になりました。右も左もみんな核兵器が残虐だというのは、わかってるんです。その上で、どうするのかということなんですよね。中身については、この日記も公開している以上どうのこうの言うつもりはありません。右だからとか左だからとかでなく、純粋にその人の意見の中で、それは一理あるというのはそれぞれありました(こういうこと大きな問題を話す時には大事な気がします)。あくまでその議論を俯瞰してみていただけですが、広島に生まれて育った人間として、広島の原爆報道や教育や運動について昔から少し違和感を感じていたことも正直なところです。

例えば、反核デモやパレードをやってる方々の多くは、休暇の取りやすい教員か公務員か労組団体。そして彼らの多くは動員で集会に参加して日当も交通費ももらって歩いてます(私も何度か参加したことがあります)。デモが終わればさっさと遊びに行くんです。みんながそうだとはいいませんが、今の時代これが現実なんです。

 今回の結論として、最後に核の傘について視聴者の55%が容認されてました。廃絶を目指すのは当然としても、現実をどう考えるか。私は被爆者の語り部を次世代で育成するという試みはいまひとつ理解できないのですが、原爆が悲惨悲惨というだけでは、何もかわらないのではないかと思います。もちろん資料館は大切ですし、世界に悲惨さを訴えることは大事だと思います。例えば、銃は日本で禁止されていますが、警察は持っています。これを必要悪と考えるのか、持たないようにするべきなのか?核とは次元が違うとかもしれません。ただ、核兵器を持った国に囲まれて、核の傘を不要と言い切れるのか?本当、人間の良心を信じるだけでは難しい問題だと思います。

あと気になったのが、テロリストが核をもったらどうすればいいのでしょうか?彼らの良心を信じるだけでは無理があるのではないでしょうか?かれらに核の悲惨さを訴えても馬の耳に念仏ではないのでしょうか?

私も核の傘(核抑止力)が必要か、有効かと言われれば明確な答えは出せません。ただ、デモやパレードの方々の主張はどうも絵空事や自己満足的に見えてしまうのは事実です。

今日は音楽と関係なくてすみません。

こちらを見て、考えてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=0zgNRhvJXQ0