追悼

大好きだったレオンラッセルが亡くなってしまいました。追悼でずっとレオンの作品を聴いています。改めて本当かっこいいですねー。

彼に出会ったのは、高校生の時ジョージのバングラデシュコンサートのビデオ見てて、一際大物感漂う白髪ロン毛のタンクトップの仙人みたいな年齢不詳のおっさんがやたら盛り上がってたのが印象的でした。何だこのヒッピーは?って感じでリンゴやディランやクラプトンよりも目立ってましたから、強烈でした。

その後、ジョージのファーストにハマる中で、スワンプロックというものがいいらしいと知りました。同じ南部系でもザ・バンドなどは大学生時代からでしたが、さらに濃いスワンプ系は、社会人になってからまともに聴きだしたと思います。で、色々本など読んで情報を集め、まずデラニー&ボニー、それからジョーコッカー、リタクーリッジ、さらにドンニックスというスワンプロックという沼に引きずり込まれていく中、どれもこれもレオンが関わっていて、この人のコネクションに驚いたものです。

さらにスワンプとは別のベクトルで大瀧さんからフィルスペクターに行って、あの辺りの音源聴くようになるとスペクターのセッションチームいわゆる「レッキングクルー」にレオンの名前が!この人何者?と驚愕しました。

考えてみたら、バングラデシュコンサートでステージ上で、一番盛り上げ大活躍したのはレオンで、裏方としてサントラのプロデューサーだったのがスペクター。この二人がもっと以前から数々のセッションで繋がっていたというのは不思議な縁を感じます。それにしても、あのコンサートのミュージシャンはレオンラッセルのLAスワンプ人脈がかなりいるわけで、彼の貢献度は非常に高いと思います。まああれは1971年、つまりスワンプロック全盛期ですから。その大親分がレオンだったわけで、そりゃ存在感大有りですよね。

作曲、プレイヤー、プロデューサー、歌手そしてミュージシャンを束ねる人間性、どれも素晴らしい人でした。とにかくかっこいいんですよ。曲もあのダミ声もピアノも、そして勿論あの強烈な風貌も。その上人望があって、ミュージシャンから絶大な信頼がある。ジョージもクラプトンもレオンに影響受けてスワンプロック行ったわけですからね。残念ながはもうあんな人は今の時代には現れないでしょう。

それにしても、スワンプロックは日本では流行らないのは何故でしょうか?ああいったファンキーでブルージーでねちっこいサウンドをやるバンド自体があまりいませんよね。

レオン自体の音楽性で言えば、ブルース、ロックンロール、R&B、ゴスペル、そしてカントリーにも精通してて、それらがごちゃ混ぜになったのがスワンプロックなのかもしれません。

でも、一番好きなアルバムはスワンプ全盛期を過ぎてAOR路線ともいわれる78年の「アメリカーナ」。これには何度救われ涙したことか。

本人作でない曲が多いのに本当素晴らしいアルバム。美しくて無駄がない。全然一般的には人気ありませんけどね。

とにかくレオンラッセルには感謝あるのみ。これからもずっと大好きです。

まだまだ語りたいですが、今日はこの辺で。

また今度。