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廿年

 いやー、忘れてました!何がって、AMO20年記念日ですよ。少し前は知っていたはずなんですけど、11月11日で、その日はちょうど振休だったので家族でバーベキューにでかけました。いわゆるアウトドア系の趣味人ではないのですが(山城は登りますが)、気分転換に森林浴をしながら満喫しました。平日のデイキャンプは人がいないので楽しいですよ。それはさておき、11月11日であることさえ忘れていました。まあ、10日は天皇陛下のパレードがあることも忘れていて、まあそれくらい土日忙しかったわけです。

 で、20年ですよ。ただただ、20年経っただけで、音楽的に成長したわけでなく、演奏も歌も大して変わりません。大きく変わったのは選手が増えたくらいですかね。正確には、大きく増えて少し減ったわけですが…。まあ続いただけでもほんと奇跡だと思いますよ。だって1999年当時、だれも私の音楽なんか求めてないし、少数の友達以外は音楽をやっていることすら知らなかったわけですから。もっと正確にいうと、あの時田舎に一人で移住して、周りに友達自体がいませんでしたからね。休みには少年野球のコーチ業と歌を作るくらいしかすることがなかったわけです。なので、事務所という体裁で、一人多重録音どころか一人多重人格にして、沢山仲間がいる設定にしたのです。これ、いま考えると完全に箱庭のヤバい世界観ですよね。当時は、3万円で買ったカセットテープ4TrのMTRが録音機材でした。で、その年の夏ごろに初めて地元の小さなイベントでトラックの荷台で唄いました。大学時代には宅録はしていたものの、それまで全然まともにライブをやったことがなく、そんなにお客さんはいませんでしたが手が震えた記憶があります。で、田舎で作った曲を録音して、MDにミックスダウンし、マスタリングなどなく、CDレコーダーという機材を買って、CDRオーディオに焼きました。そこで完成したのが、『虹町』というアルバム。今聴くと恥ずかしくてとても最後まで聴けません。でもこれ、秋本哲治フォークアルバム第3集としています。つまり、ファーストとセカンドがその前の大学時代にリリースしていたのです。AMO以前については、これまでほとんど明かしていませんが(誰も知りたくないと思いますが)、大学4年の頃にジョーカクレコードという私的レーベルを作って(音楽サークルには入っていません)何枚か私や友達とのアルバムを作っていたのです。4年生というのは就職や卒論で忙しい時期。何をやってたのでしょうかね~。ほんとアホでした。まあ、それはまた話す機会は、ないですけどとりあえずAMOは1日にしてならずということです。今のAMOも20年かかっています。まあ、今でも活動はそれほどしていませんが、20年前とはずいぶん違います。沢山の音楽仲間にであえたのは幸せなことでした。要するに、音楽を通じてコミュニケーションを図ってきたということです。いろいろ言う人もいるでしょうけど、面白い20年を過ごさせてもらったなーというのが、実感です。振り返ると、実は2010年から2011年の2年間は今より停滞どころか完全に開店休業状態でした。だから、いつやめても、AMOが自然消滅してもおかしくはなかったのです。だから、今でも存続していること自体に自分でも驚いています。

 これを読んでいる方の中には、私やAMOのことを嫌いな人はいないと思いますが、いてもいいんです。とにかく皆さんありがとうござます。お蔭で楽しくスリリングで無駄で阿呆な20年を過ごさせていただきました。普通に生きてて、素人が音楽事務所なんてやりませんよね。しかも、いつも悩みばかり。

ま、とりあえず12月29日に小さな20周年記念ライブをやりますので、祝ってやろうという方、私の歌を久々に聴きたい方(そんな方はもはや絶滅の危機ですが)、遊びに来てください。てなわけで、20年前をちょっとだけ振り返ってみました。また聴きたい方はゆっくりお話しますよ!