お蔭様で、無事退院いたしました。何事かと心配頂いた方、すみませんでした。私の方はいたって健康毛だらけ猫灰だらけってなもんで、毎晩ビンビンではないですがピンピンしております。
もう終わったので言いますが、まあ、これはたまたま適合しただけのことで、私がすごいわけでもなんでもありません。それにしても、私の骨髄なぜかよく合うんですよね。昨年も適合の通知がきましたが、あの時はちょうど私が「水虫」で、その飲み薬を飲んでいたためその副作用を財団が懸念して候補から外されたという笑い話のようなオチでした。
今回4日間入院したわけですが、病院というとこはいろんな方がいますね~。手術後に1日集中治療室ですごしましたが、カーテンを隔てた隣のいろんな患者の方の声が聞こえてくるんですよ。腸閉塞で運ばれてきた中年と思われる人が付き添いの女性に「わしゃすきなだけ食ってきたが、こんな体になってやっと健康のありがたみがわかるんよの~」と嘆いてました。すると向かいでは爺さんが急患で運ばれてきました。「すまんの~、すまんの~」とゼイゼイいいながら痰をカーカー出そうとしてましたが、これがなかなか出ない。しばらくしてやっとコップに出したようで看護師が「えーのが出たよ~」。すると今度は「腹がへった、果物が喰いたい。わしゃ~柿が大好きなんよ」と夜10時に無茶なことを家族に訴えて慌てて家族の方が果物買いに出かけていきました。しかしそのじいさん、生年をきかれると大きな声で「大正9年!」。私は思わず計算すると94歳。しかし爺さん、家族が買ってきた果物(種無しぶどう)を今いらんと言って食わないんですよ。
まあいろんな人生を垣間見たというか、垣間聞きました。その後私は個室に移りましたが、小児科病棟だったので、いろんな病気を抱えた子供たちがいるわけですよ。そしてそれに付き添うお母さん達。いろいろ考えさせられました。とにかくやっぱり、健康ってのは大切なことですね。
私の方もなかなか大変で、入院している間、毎日注射ですよ。血液検査に点滴。体温血圧酸素計測は1日3回づつ。術後は腰はもちろんですが、人口呼吸器つけていたため喉がいたくて、さらに当日は小便も尿瓶でとるんですよ。こぼしてはいけないので慎重にとるんですが、私の1日にした小便が大きなビーカーに名前貼ってボトルキープしてるんです。尿をするたびに看護師がそれに入れるんですが、ああなったた恥ずかしいも何もないですね。後でそれを見て人間ってすごい量の尿を排出してるんだなと~。それはさておき、カテーテルをつけていたため、トイレに行けるようになっても出るとき尿道が痛いんです。
まあ、いろいろ難儀はありましたがすべて想定内のことで一時的なものです。どうせ独り身で子供もいない私は飯食って糞をする燃料ばかりくう機械みたいなもんですから、人様に使えるものなら何なりとという程度の気持ちです。まあ、今回1100mlもの液を抜いたので、それなりに血の入れ替えができたわけで、これからは心を入れ替えてまっとうな人間になりたいですね。ちなみに私2回目の提供なんでもう提供することができなとのことです。もし興味ある方はバンクに登録してみてはいかがでしょう。
で、全身麻酔の手術にむかう直前少し緊張感もありました。もしかしたら何かあるかもしれません。死刑場に向かう死刑囚のような気持ちで、最後に1曲音楽を聴こうと思いました。そして聴いたのはAMO音頭。最後に何か1曲聴くとしたら何かなんて考えたのは初めてでした。所詮音楽、されど音楽。そのとき自分にとって音楽そしてAMOの曲って大切なものなんだなと感じました。そして、それを一緒に作ったAMOの仲間も大切なものです。
最近AMOに関していろんな準備等で忙しくて何かとバタバタしてて、大所帯になったので余計でも行きとどかないことや雑になることがあります。が、やっぱりこのチームとしている以上、みんなの気持ちを大切にしなければいけないと反省しています。大げさな話ですが、本当自分という人間の未熟さを痛感しております。でも進むしかないのも確か。
さて、皆さんは仮に人生の最後が迫っているとすると何を聴きますかね?
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