一周忌

 えー、黒田が帰るということですが、多くのカープファンの皆さんがSNS等で大騒ぎしているので、私がコメントする必要もないでしょう。私は天邪鬼なんでみんながいいっていうものに対して斜めからみてしまうんですよ。そりゃカープに人一倍関心はありますよ。常に情報はチェックしています。ここだけの話、多分カープの歴史を語らせると私以上に詳しい人は周りにはいないでしょう。(音楽もカープもやっぱり歴史で見てしまうんですね。)ただ、みんな来季優勝とかいっていますが、冷静にみれば一番の課題はリリーフとクローザ―です。黒田はバリントンの代わりに入ったみたいなもので、15勝もできるとは思えません。クローザ―はミコライオが退団し、ザガースキーといういかつい顔のおっさんはちゃんと働くのか未知数なわけです。ついでに、後半観ているとエルドレッドが今年並みに働く保障は全くなく、4番大丈夫か?という疑問もあるのです。まあただ現役バリバリのメジャー選手で、かつ初のFA選手をカープが獲得したということは前代未聞のことで、すごいことであることは確かです。

 さて、先日のヲルガン座紅白をもって今年のAMOの活動は終了しました。今年の紅白は村山タイソンが新人賞をとったのを筆頭に、各選手大健闘でした。大トリとなった事務所としてのステージは、タケウチのインフルでのドタキャンだけでなく、コーラス隊は各自のソロ出演のことしか頭になく、衣装を忘れたモリソンをはじめ、当日までやる気はなく毎度のことながらいい加減この上なし。一度カラオケで少しコーラスの練習はしましたが全員で打ち合わせたのは本番直前という有様。しかしながらそこはAMO。唄とコーラスだけでは満足できないので、コント仕立てにして言うことをきかないコーラス隊という設定で簡単に流れを決めて臨みました。曲がりなりにも大トリとしてのある程度の仕事はできたかなと思います。さすがにうちの選手達は私の意図を察してアドリブを効かせて、唄のあとも徹底して私の言うことをきかない!一見軽くていい加減な感じなんですが、笑いの方向性が以心伝心で理解できているんだな、と最近わかってきました。それは奴らが集まるとステージ外での練習や日常的な会話が既にコントになるんです。そういう意味で、習うより慣れろとはいいますが、あんなどこまで冗談か本気かわからないくだらないやりとりがAMOの空気になってるんだと思います。勿論それを面白いと思うかどうかは受け手次第で、今のところそれほど人気もありませんが、私が目指す「奴らがいるだけで面白い」雰囲気には近いと思います。まあそれにしても、私出場2回目ですがあんな大きなイベントのトリをさせてもらうなんて、本当身に余る光栄でした。多くの人が秋本音楽事務所ってなに?って思ったかもしれませんが、だからこそ事務所として出演してよかったと思います。

 さて、今日は大瀧師匠の命日。1年経って、改めて大きなものを失ったんだな~と感じています。今日は先日出たベスト盤を聴きながら、時に涙しておりました。曲、サウンドそしてあの歌声、本当素晴らしくて切ない。でも師匠の魅力は作品だけじゃないんですよ。なによりあの膨大な音楽だけにとどまらない知識・見識。師匠は一見偶然と思えることも全て意味があるものとして理屈で説明しようしました。特に流れや歴史を重視し、それを点と点ではなく、独自の視点で線と線で繋いでいくんです。それは強引じゃないかという見方もできますが、師匠の中ではちゃんと線が繋がっているんです。そういう意味で、晩年のアメリカンポップス伝というラジオ番組は素晴らしい仕事でした。まさに聴くポップスの教科書。その殆どを私は録音していたので、今でも聴くことができます。50年代~60年代前半のポップス史って今ではあまり語る人がいないんです。つまりアメリカでのビートルズ以前です。というか、私の周辺でもその時期の音楽に詳しい人は殆どいません。日本でもはっぴいえんど以前の邦楽に詳しい人に出会うことがないのです。

 それで私が心配しているのは、はっぴいえんど至上主義です。確かにはっぴいは私が初めて好きになった日本のロックバンドで、今でも大好きだし、影響も受けました。そして巷では日本語ロックを作ったといわれますが、その前のロカビリー~GSの流れを踏まえないと突然変異ではっぴいが出たわけではないんです。師匠自身は勿論その流れの中で自分たちのバンドが出てきたことは語っていますが、若い人たちの中ですべてははっぴい以降だと勘違いする可能性があると思うのです。実際、私の周りではっぴい以前の日本のポップス史に詳しい人はあまりというかほとんどいません。せいぜい同時期の高田渡くらいからです。ま、私の場合は極端で、80年代のバンドに殆ど造詣がないわけで、特殊なのかもしてませんが。

 そして、はっぴいの行き着いた先がロンバケやYMOだと早合点する傾向もきになります。要はロンバケ至上主義に対して疑問を感じているのです。ロンバケやイーチタイムのリアルタイム世代の方が、あれは衝撃的だったとか一世を風靡したとあちこちでいうのは気持ちはわかるのですが、あれが師匠の最高の仕事かどうかはわかりません。個人的にはあれはやはり突然変異ではなく、あれもあの時代の音だと感じています。楽器の鳴りとか今でも流行るとは思えないのです。それを、いまだにロンバケ、ロンバケともてはやす傾向があり、天邪鬼としてはどうも違和感を感じてしまうのです。音としては70年代後半の売れない第1期ナイアガラ時代の方が今聴いてもしっくりくるのです。シュガーベイブ(エンジニアは師匠)の音然りです。これは、文章では説明しずらいのでこの辺にしますが、とにかくYMOやロンバケをはっぴいの終着点とするのはまずいのではないでしょうか?細野さんだってキャラメルママのあのグルーヴなんてYMOのそれとは全然違うけどもすばらしい遺産だし、いろんな仕事をしています。ただ、一番売れたのがソリッドステイトサバイバーやロンバケだというだけの話です。

 打ち疲れたのでこの辺にしますが、私は師匠の影響はこれからもずっと引きずることでしょう。AMOは素人版ナイアガラだと思ってますし。ただ、レーベルとしてのナイアガラ、つまり大滝詠一以外のアーチストがいろいろいる形にはなりませんでした。だからこそAMOはそれに挑んでいるわけです!これからも誰でもできるが誰もやらないことを目指します。